詩集 仙人
2014 年9 月30 日 第一版第一刷発行
著 者 加藤丈夫
絵と版画 大井さちこ
定価1200円+税
ISBN978-4-905036-07-4 C0092
きょうはお待ちかね触れ合いの日
子供とお年寄りとの触れ合いの日
普段町にも出掛けない一人暮らしのお年寄りも
晴れて招待客となり孫の年頃の子供らと
一緒に過ごす日なのです(「伝承あそび」から)
東北の大震災の衝撃から仙人の住む世界まで、虚と実、実と虚が見え隠れする25編の詩。
加藤丈夫(かとうたけお)
一九三一年九月埼玉県寄居町に生まれる。還暦を過ぎてから詩作を始め、同人誌「おりおん」に入会、現在に至る。
詩歴 詩集『ただ今受信中』(銀の鈴社刊)
詩集『山の神の祀り』(てらいんく刊)
ふるさとの詩コンクールで第六回太田玉茗賞
絵・版画 大井さちこ(おおいさちこ)
一九六二年東京都に生まれる。小学校の頃から山本日子士良氏に油彩画を学ぶ。
子どもの誕生を機に、絵本作りや銅版画を始め、グループ展などに出品。エッチングにやわらかな彩色を施し、物語を持つ小さな世界が注目される。装画に詩集『ねこの秘密』『原っぱの虹』(いしずえ)『空の入口』(らくだ出版)『風のシンフォニー』(てらいんく)などがある。
詩集より
かやつりぐさ
ひろい のはらの まんなかで
よにんで ままごとの おとまりほいく
かやつりぐさを つりましょう
しほうへ すうっと ひいていく
ひろがる ひろがる しかくい かや
みどりの かやの できあがり
すそを もちあげ もぐりこめば
よにんだけの ひろい せかい
くさの かおりに つつまれて
ねむって しまうの もったいない
お盆さま
ふだんは目立たない屋敷林の木立
玄関へ点々続く踏み石の列
きょうはどこか蘇ったよう
それぞれの息吹さえもきこえて
静寂な家の中の納戸まで
そわそわ空気が揺れていて
人の居ない庭の植え込みまで
誰か人の気配が感じられ
そうですきょうは八月十三日
月遅れのお盆の初日です
お招ばれの亡き人たちが
里帰りして家の内外にあふれています
苔蒸した杉の根元を撫でているのは
日焼けした顔に白い顎鬚の甚五郎爺さま
桐箪笥の紋付羽織に風をあてているのは
白髪を髷に結ってるおかね婆さま
植え込みの下の草掻き分けてボールを捜すのは
小学校の制服姿のぼくの弟の哲司くん
乾し草の香りのする盆棚では
仏壇から出されてピカピカのお位牌たちが
揺れる灯明に照らされて
くすぐったそうにすまし顔で控えています
ぬえ
私は毎晩きまってこんな夢をみる。もっと
も夢としてはあまりに鮮やかなのであるいは
夢ではなくて現実なのかも知れぬ。
まず草木も眠る丑みつ刻になると「ひょう
ひょう」と人の声ともつかぬ、鳥の声ともつ
かぬ悲しげな声が波の上から聞こえてくる。
雨戸を繰って外を覗くと弦月の下一艘の丸
木舟がわが家めざして近付いてくる。
申し遅れたが私は芦屋の海辺の粗末な小屋
に住んでいる老人である。
家の前の舟寄場にもやった丸木舟から人の
姿が現れ岸辺に立つ。
月光の下を漁師風の男が私のほうに歩いて
くる。
こんな話をする。
自分はもともと漁師で平凡な毎日を送って
いたが或る時途方もない罪を犯したらしい。
くり舟に押し込まれ暗い川に投げこまれた。
それ以来暗い冷たい水の中を漂って日の目
を見たこともない日々を送ってきた。なんとか
して日のさす世界に戻りたいと思う気持ちと
一方で自分の犯した罪は死に値する。こんな風
に生きながらえているより一刻も早くこの世から
消え去るべきだという気持ちもある。
一番つらいのはどっちつかずにこうして波
の下を彷徨っていて自分で自分を決めかねて
いる煮えきらない私の性格なのだ。
夢の中でこの話を聞かされて私は何とも答
えられずにいる。ただこの漁師の物腰が自分
にそっくりだなと思いながら目を覚ます。
すると波音の合間から「ひょうひょう」と
とらつぐみの鳴き声が現実となって聞こえて
くるのだった。
注 ぬえ…とらつぐみのこと。山林に棲息しているつぐみ
の一種で夜間もの悲しい声で鳴く。
妻恋仙人
身寄りのない男がいた
美人の女房がいたのだが結婚して間もなく死なれたの
でその後独身を通しているのだ
夫婦の間に子どもがいなかったので今も粗末な小屋で
のひとり暮らし
真面目によく働くし 男ぶりは良し 年は若いのだ
再婚したらどうだろう
と聞いてみた
いえいえ私はとてもそんな気になれません
死んだ女房が忘れられず せめて一目会いたいだけ
でございます
それを聞いた村の長老
この世で亡者に会う方法がひとつある
この世に伝わる仙術を身につけて仙人になることだ
すればお前の恋しい女房とも好き勝手に会えるのさ
すると男はつぶやくように
そうですか
それなら私はどんな苦労も厭いません
必ず仙人になってみせましょう
それから男がどんな修行をしたか誰も知らない
家に閉じ籠ったまま 物音もしない 煙も立てず
生きているのか死んでいるのか
庭には蔓草がぼうぼう生えて白髪のような綿毛の付い
た実が風に飛ばされているばかり
いつか男のことを覚えている人も居なくなり
百年経ったある日のこと 傾きかかったあの小屋から
その男が出てきたのだ
顔はあのときのままの若々しさ
肌はつややか 目は生き生き
髪の毛だけが真っ白で
庭の蔓草の綿毛のよう
突然朗々と詩を吟ずる
《菊を採る東籬のもと
悠然として南山を見る》
肝心の恋しい女房に会えたかどうかは触れずじまい
聞こうという人も居なかった
注 《菊を採る…》 陶淵明の詩『飲酒二十首』の其の五より。陶淵明は、隠逸詩
人といわれるので、その印象が強いが、「その詩は質にして実は綺、痩せていて
実は腴(こ)ゆ」(蘇軾)というべきもので、非常にダイナミックな詩人である。
この詩のつづきは「山気 日夕に佳し。飛鳥 相与に還る。此の中に真意有り。
弁ぜんと欲して已に言を忘る。」とある。
中国の「風景」は光が当って見えている「像」だけでなく、「光」自体と、風という
ある状態をとった「気」のことも含めて指している。目の前の物理的な風景だけで
なく「気」の中に置かれている自分も含まれるのである。
かもめは故郷を見続ける
その時はまだ心に余裕があった。濁流の中を膝迄泥水に浸かり
ながら私の一家は避難所目指して歩いていた。私はひめかの手
をとって障害物を避けながら一番後ろからついていった。
家を出てから十分後、突然の引き潮が地上の物を何もかもさら
っていってしまった。私は咄嗟に木の枝につかまってそこに留ま
った…が、ひめかひめかが居ない。
「ひめかあ! 」「ひめかあ! 」
と叫びつづけたがそんな声は波の音でかき消されてしまう。
あれから六ヶ月、行方不明者となったひめかを探したい。もう
一度会いたい。
私は海岸のコンクリート面にローマ字でHIMEKAと書いてみた。
巨大なHIMEKAの文字は大きすぎて地上からでは読めなかった。
そんなとき、パラグライダーかもめ号の操縦士酒井氏から愛機
かもめ号で空から海岸を写したいとの知らせが届いた。しかも
薄磯地区を海岸沿いに飛翔してその映像を私の受像機に送って
くれるという。
その日がきた。
あの日、陸地も海もなく暴れ狂った薄磯の海岸は打って変わっ
て穏やか。かもめ号はその名の通り高度二百メートルの上空か
らかもめのように軽やかに、速くもなく遅くもなく薄磯の海と陸の
姿を画面にくりひろげた。
延々と続く瓦礫、なぎ倒された大木、船腹を見せて打ち上げら
れたままの漁船。震災後の薄磯は死んだような不気味さ。
この世の終わりを思わせたあの日が戻ってきた。
私はあの三 ・一一の津波の日に別れてから、六ヶ月ぶりに、
あの小さな手の温みまで実感した。
「生きたかったのだな」と思わず呟いていた。
気がつくと、空から見える私とひめかは瓦礫の散乱する海岸
で、花の咲き乱れる草の上を手を取りあって歩いていたのだった。
注…平成25年10月NHK番組「かもめは故郷を見続ける」を参照
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